服部良一の聖地巡礼@道頓堀今井

 

大阪での演奏会を終え、翌日日中に時間ができたのでうどん屋に行ってきた。

道頓堀「今井」 https://www.d-imai.com

 

 

きつねうどん。お出汁がうまい

 

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うどん屋「道頓堀今井」は、戦前楽器屋を営んでいた。

当時、全国でも指折りの西洋楽器販売店だったそう。

大正時代末期、関東大震災(1923)の影響で、優れたミュージシャンが関西に多く流れ込んできていた。

道頓堀のダンスホールを中心にジャズが大流行し、「道頓堀ジャズ」ムーブメントが生まれた。

そのような時代の波を乗りこなしながら文化を支える役割を、当時の今井楽器は果たしていたのだと思う。

 

 

大阪出身の作曲家服部良一はまさにこの頃、音楽的な青春時代を送っていた。

服部の音楽のキャリアのスタートである「出雲屋少年音楽隊」は道頓堀のうなぎ料理屋が企画したプロモーションバンド。

以前書いたこの記事でも出雲屋に触れている。↓

https://www.norisax.com/%E3%80%88蘇州夜曲〉とサックス/

  

うなぎ料理「出雲屋」は、今井楽器のすぐ向かいに位置していた。

「出雲屋少年音楽隊」という西洋楽器バンドを出雲屋の主人が組織したのは、ご近所の今井楽器の扱う流行りものを目にしていたことが影響しているのは想像に難くない。

 

服部良一の自伝に、今井楽器に触れた文章がある。

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(出雲屋少年音楽隊には)そのほか、松竹座オーケストラや宝塚オーケストラの腕ききが先生として随時やってきていた。ぼくは、ソプラノ・サックスをセルビア人のアダム・コバチ氏に習い、バンジョーを平茂夫、フルートを水野渚、オーボエを平石亭二、ピアノを岩淵繁造の各先生方にきたえられるという忙しさだった。楽器は、その前を通るごとにぼくが店頭で眺めていた道頓堀の今井楽器店から購入の、アメリカC・G・コーン製の極上品。そのころとしては珍しいサキソホンが十丁もあって、サキソホン・ファミリーを作ってみたり、いろいろ新しい企画を打ち出して話題を呼んだものである。
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出雲屋少年音楽隊が、売りにしていたのがジャズ演奏で、それは他の少年音楽隊には無い特色だった。

この頃からジャズを取り入れた演奏と編曲に携わっており、今日「Jpopの父」と評されるに至る素地が培われていた。

 

 

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当時をよく伝える服部良一の記述 ↓

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道頓堀周辺をニューオーリンズのようだ、と思った一時期がある。大正の末のころだ。ニューオーリンズは、音楽好きの人なら誰でも知っているアメリカ南部・ミシシッピー川の河口に近い大都会、ジャズ発祥の地として有名である。正確には、ジャズが音楽的に形をととのえて、爆発的に演奏された町、というべきか。
 大正末のミナミと呼ばれる大阪・道頓堀周辺の歓楽街の、酒場(カフェー)やダンスホールや町角にジャズが満ちあふれていた。ミシシッピー川をジャズ・バンドを乗せて上り下りしたという絢爛たるショーボートこそなかったが、道頓堀川に浮かんだ粋な屋形船で熱演するジャズ・バンドの姿は見られた。

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道頓堀今井は、今も当時を思わせるものを残してくれている。