服部良一の聖地巡礼②尼崎“ダンスホール王国”痕跡

尼崎は工都の顔だけではなく、昭和初期、日本有数の“ダンスホールの都”だった。→神戸新聞+1 

 

東平コミュニティプラザの歌碑を見た後は尼崎に移動し、服部良一も活動したダンスホール一帯の地域を歩いた。

跡地にはほとんど何も残らないが、国道2号沿いの建物、雑多でひなびた雰囲気は、当時を思い起こさせてくれた。

 

今回のルート

阪神尼崎駅 → 玉江橋交差点周辺(尼崎ダンスホール)

→ 大物駅北口周辺(キング・ダンスホール)

→ 国道2号を東へ(ダンス・パレス)

→ 杭瀬駅北(杭瀬ダンスホール/ダンスタイガー)。

 

#1 尼崎ダンスホール(玉江橋あたり)

最古参。1927年開業、のち1929年に玉江橋近くへ移転。

いまは交差点の喧騒だけがある。
※目安:玉江橋交差点〜阪神尼崎駅北エリア(痕跡なし)

 

#2 キング・ダンスホール(大物駅 北口あたり)

“大物北口”という地名情報が残る。
駅前から国道2号へ抜ける道のひらけかたが良い感じ。
ここも看板類はないが、駅の気配と車流で当時の賑わいを想像できる。 

※目安:阪神・大物駅北側〜国道2号沿い。

ここで服部良一はテナーサックスを演奏していた。

近くにはSLが置かれている大物公園(工事中)。東平プラザに続き、ここにも入れなかった。笑

 

#3 阪神会館 ダンス・パレス(東長洲/国道2号沿い)

1930年開業。豪華さで知られ、場所は大物駅から北東約500mが目安。
回転式シャンデリアの証言まで残るのが面白い。
現在は日常の街並み。

良い感じの業務スーパー、多分この辺り

 

#4 杭瀬ダンスホール → のち“ダンスタイガー”(杭瀬駅 北)

「阪神社交倶楽部 杭瀬ダンスホール」として始まり、のち“ダンスタイガー”に改称。

駅北の生活圏にまぎれて、当時のチケットが今も資料として残る。
寄書帖(著名人サイン帳)まで伝わるのだから、この街の記憶は強い。
※目安:杭瀬駅北側〜国道2号沿い。

 

 

その後大阪に戻り、長かった1日目終了